療育

「障害受容」ってなに?

「障害受容」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
障害受容とは、障害を知り、混乱から回復に向けた心の過程を指す言葉です。どのようなプロセスが、障害の受容に生じているのでしょうか。かみ砕いて紹介できればと思います。
最初に、国内で最も紹介される機会が多い、Drotar,et al. (1975)の障害受容段階説を基に見てみましょう。

図1.Drotar,et al. (1975)の障害受容段階説の図

図の縦軸が反応の強さ、横軸が時間の経過とされています。

初めて診断を受けた時、あるいは知ったときに、「ショック」や混乱が生じ、反応も強いものとなっています。

次いで、時間経過とともに現実を受け入れたくない、「否認」のプロセスが入ってきます。この時期は、診断や特性を受け入れられず、何とかしよう、どうにかしようとする段階です。

「否認」のプロセスが終わると、「悲しみと怒り」の段階に入ります。どうにもできないことや、診断がついたことに対して、深い悲しみや、自分、他者を問わず、怒りなどの感情を抱くとされています。

例:「障害があるのは自分のせいだ」、「申し訳が無い」など

そして段々と反応が弱くなって行き、「適応」のプロセスに進みます。この段階では、今できることを模索していく段階です。今できる現実的な解決方法を探していく段階です。

最後に「再起」の段階へ進み、反応も強くなっていきます。自分に出来ることを見つけたり、子どもの得意な部分や強いところに目を向けながら、家庭内や社会での役割を見つけていく段階です。

このプロセスを経て、障害受容に至るとされています。

もちろん、このDrotar,et al. (1975)の説もあくまで仮説にすぎず、全員が必ず同じ過程を辿るかと言えばそうとは限りません。

Olshansky(1968)の「慢性的悲嘆説」では、いわゆる「完治」への期待が捨てきれず、肯定と否定を繰り返しながら、きっかけがあると「悲嘆」を繰り返していくという考えもあります。

図2.中田(1995)の螺旋型モデルにおける「障害の受容の過程」

また、Copley, et al.(1987)や、中田(1995)の「螺旋型モデル」では、「慢性的悲嘆説」を基にした考え方です。

図2にあるように、当初は図の下側、「衝撃、否認、悲嘆」などの否定的側面が強く出るものの、次第に障害を肯定できるようになります。
しかし、何らかのきっかけで、「悲哀がときどき生じる」段階へと進みつつ、肯定的な側面に視点を切り替えやすくなる、というものです。

ときに「もっとこんなことをしてあげれたなら」「なんであんな事をしたんだろ」といった当事者家族の声を耳にすることがあります。ですが、「否認」や「悲しみと怒り」にもあるように、そういった感情を抱くことは自然なことなのです。それだけ、我が子に向き合おうとして、親として必死に子どもを想った結果生じる感情なのです。

過去は変えられませんが、今や未来は変えていけます。過去の出来事に対して様々な想いがあるかとは思いますが、だからこそ、次を見据えて一緒に考えて行ければ良いなと思います。

文責:高野

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