ご無沙汰しております。
まだまだ、日中は暑いですが、夜は少しずつ涼しくなってきましたね。
いよいよ実際に支援の提供が始まりましたが、そんな中でも職員間で空き時間を見つけては座学やワークショップを用いて、支援の質の向上に努めています。直近では復習を兼ねて、再度、発達学や発達心理学についての振り返りを行いました。
そんな振り返りの中で、もしもリスクマネジメントをしていても利用者様をパニックや癇癪にさせてしまったらどうしたら良いものか、という疑問が挙がりました。
各学問や理論、手法によって、対応方法や考え方は異なります。ただ、パニックや癇癪状態の行動が、周囲の人々には「問題行動」と括られて、「止めさせなければならない」という考えに至ることも少なくないように思います。それは、ご本人様が自己や他者を傷つけたり、激しい感情表出であることへの「恐れ」からきているのではないかと感じます。
しかし、そのパニックや癇癪の「行動」そのものには着目されることが多いですが「なぜ」その行動を「せざるを得ない」のかについて、どこか置き去りにされているようにも思えます。パニックや癇癪というのは、言い換えるならば、不安になっていたり、堪忍袋の緒が切れた状態ともいえるかと思います。
少し話がそれますが、私たちも、友人に連れられて苦手なお化け屋敷に入れば大人でも泣くかもしれないですし、ストレスが限界になったら時に感情的な口調で相手に詰め寄ったり、個々人のやり方で発散されるかと思います。ちなみに筆者は絶叫マシーンが苦手で、無理やり誘われた際には泣きかけて限界に達して逃亡を試みました。
そんなとき、相手はまず「不快な想いをさせた」ことに対し「謝り」ますよね。「泣くな!」「逃げるな!」「やれ!」とは、とても言わないですよね。仮にどうしても無理を強いらねばならないときには「お願い」しますよね。
つまり何が言いたいかというと、たとえ発語が拙くとも、行動がときに自他を傷つける可能性があるものであったとしても、まずはそうせざるを得ない状況にさせてしまったことに対して、「謝罪する」ことが大事であると考えています。
それは、支援や療育手法だの療育だのと言う前に、「人として」必要なことなのではないかと感じます。なぜなら、少なくともご本人様に、苦しさ、怖さ、腹立たしさを感じさせてしまったことには変わりないからです。そのことも考慮して、どの段階で、どんな行動で教えてくれたら嬉しいかを考えていくことが必要だと感じます。
改めて、座学を通して職員同士で意見交換をしていく中で、「対人援助職である前に『人として』必要なこと」として、お伝えするように心がけています。とはいえ言うは易しとはよく言ったもので、そもそも私もまだ人としての礼節が欠けている部分もあるので、生涯学習ですが(笑)。
文責:高野
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